意思のあるたくさんの凶器と共同生活を送るにあたって、大事なことは何か?

 刀剣男士は神様なので人間を祟ったり呪い殺したり、神隠ししたりする。そういうふしぎな力を使わずとも、ふつうに刀とか腕力とか罠とかで審神者を傷つけたり殺したりもする。
 かれらの価値観はたまに人間とまったく違う。
 たとえば、審神者を刀で斬りつけると気持ちがいいのだという。審神者ごろしの罪を犯した刀剣男士に聴取したところ、このようなことを言ったそうだ。
「審神者を斬った瞬間、自分の刀身がやわらかい体の中に入り込んでいった。そこから霊力がまざりあって、ひとつになったようだった」
 その審神者の遺体は見つかっておらず、当該男士は「ここにいるだろう」、と自分の腹を指さしたそうだ。その意味は深く考えたくないが、本丸解体の一事例として聞かされた話だ。

 そんなわけで、まだ本丸に行く前の研修段階から、私はすっかり刀剣男士がこわくなってしまった。政府にそう訴えると対応策をいろいろと授けられた。それでずいぶん落ち着いたが、結局のところ主としてのふるまいが一番大切なのだといわれ、それもそうだと納得した。

 刀剣男士に好かれすぎてはいけない、隠されてしまう。
 嫌われすぎてもいけない、殺されてしまう。
 なるべく目立たず、印象に残らないくらいがいい。

 私はそれをルールと決めて、今日もこそこそ働いているのだが――時の政府にひとつ聞きたい。
 刀剣男士は、何をもって「男士」というのだろうか?

「大将」

 考えごとをやめて振りむくと、部屋のすみに黒いものがいた。それはいつもいるものだ。
 遠目にみると闇を固めたようなものだが、近づいてみるとヒト型だと分かる。
 黒いもやもやは大将とひとこえ言ったきり、ただじっとしている。
 これは私の近侍で、名を薬研藤四郎という。
 薬研藤四郎はなにやら変な音を発したが、そのなかに「演練」と聞き取れる部分があった。時計をみると午後三時である。

「ありがとう、いきましょう。みんなを呼んできてください」

 薬研藤四郎はかろやかな動きで部屋を出ていった。刀剣男士は不定形でことばも不自由なものだが、それなりの個性がある。子どもらしい大きさの短刀は、身軽。あと薬研藤四郎は私のことを大将と呼ぶ。
 神憑きである薬研通吉光は、持ちぬしの腹を裂くことを拒んだという逸話がある。だから近侍だ。
 あれが私を主とみとめているかは分からないが、「大将」と呼ばれている限りは大丈夫な気がする。

 黒いもやもやを引きつれて私は演練にいく。

 大きな黒は太郎太刀、やや大きいのが髭切、膝丸。中くらいのが山姥切国広、私の初期刀。そして小さいのが堀川国広と薬研藤四郎。

 今回のねらいは髭切、膝丸の練度上げだ。
 投石で体力をけずったあとに短刀と脇差で気勢をそぎ、打刀で切りこみ、太刀は倒れなければよし、残りは大太刀が片づける。
 そんな策であったが、みごとに負けた。
 私の本丸の演練勝率は四割ほどである。遡行軍への勝率は九割をゆうに超えているのに、演練では弱い。策がうまく伝わっていないせいだともいわれるが、ほかの審神者はどうやって指示を出しているのか。
 それを知るため、演練あとの反省会には参加するようにしている。反省会はカフェテリアでやる。

「大太刀強いね、短刀は本当に夜戦向き」
「短刀対短刀とか、刀種を選んで演練できたらいいのに」
「ランダムに出てくる敵相手に編成を考えるのも大事だけど」

 ことばが通じるのはうれしい。
 集まるのはだいたい審神者の練度が近いものであるから、話が合うのもいい。
 なにより、年齢もそう変わらない女の子たちと甘いものをつつきながら話せるので、よい気分転換になる。このカフェテリアは飲みもののトッピングを自分でできるところが人気だ。私はベリーソーダをつくった。冷たくてシュワッとするクランベリーを食べていると、自分が黒いもやもやと暮らしていることを忘れられる。
 そんなふうだから、まじめな空気も長くはつづかない。だんだん愚痴や世間話になる。

「うち、新年の催しでは兄者こなかった。今も探してる」
「あなたのところ、二人ともそろってていいね。兄者が先?」

 話をふられて私はうなずく。
 髭切はなぜか兄者とよばれている。同じ刀派や一対の刀を兄弟になぞらえることは多いので、あだ名のようなものだと思っている。

「ねえ兄者ってどんな感じ?」

 と聞かれても困ってしまう。髭切はまだ、ほかの刀剣男士と比べてひよこみたいな強さだ。しいていうなら必殺の値が高い。なんとも答えづらかったので、今回は「特が楽しみ」と言った。

「わかる、やっぱり強くなるほど絆も深まるような気がするよね」
「そうそう。私は玉集めでは兄者みつからなかったんだけど、そのとき江雪さんがかなり強くなって。慰められたなあ」
「江雪さんって厚いけど鋭いよね」
「うんうん、あとかなり刃も重い」

 刀剣トークでもりあがる女の子たちだが、私は意味が分からない。刀身が黒くて鋭くて重いのがすばらしい、と言われてもピンとこない。それだけに、審神者仲間はすごいと思う。ふだん接する刀を愛する気持ちとか、すごい。
 刀をふるうものたちが不定形の黒いもやもやでも、言葉が通じなくても、彼女たちは気にしていないのだ。

「みんなの話をきいてると、刀剣男士がそんなにむずかしい存在じゃない気がしてくる」

 心からの賞賛をこめてそう言ったら、みんなは「まじめだねえ」と笑う。
 ひとりが、ホットケーキにシロップをかける。小さなピッチャーから透きとおった金色の蜜が流れ出て、ケーキの上に線を描いた。

「むずかしい存在かどうかは微妙なところだよね。今のところ、刀剣男士が刀に宿る神様なのか、私たちの想いが作り出した存在なのかは分からないし」
「今の見解だと刀剣男士って、刀にまつわる伝承や逸話に対して人々が信仰とかいろんな想いを持ったことで生まれたもの、みたいな感じだよね」
「でも伝承も事実も、今は正史だと思われていることが歴史修正主義者の創作かもしれない」
「実在しないと思われていた刀が、ほんとうはあるのかもしれない」

 シロップがじわじわとケーキの中にしみこんでいく。
 審神者たちは顔をみあわせて笑った。

「それはそれとして刀がなにかを想うっていうのはロマンだよね」
「わたし、付喪神は妖怪みたいなものだと思ってた。お茶碗に手足がついて踊ってるような感じかなって」
「それかわいい。いわれてみれば妖怪みたいなところあるよね」
「男士同士が指先をつつきあわせると、コツコツって音がする」
「うち、錬結用の刀をぼりぼり食べたよ」
「おいしいのかなあ」
「鉄の味って言ってた」
「ごはんのほうが普通においしいよね〜」

 審神者のひとりが笑いながら、隣席の耳に手をそえて何かをささやいた。言われたほうは微笑んで、そして私に視線をむけた。

「この間の夜、廊下を歩いていたら、うしろに誰かいるような気がしたの」
「立ち止まって息をひそめていると、どうも背中に圧迫感があって」
「誰? って言っても何も言わない」
「よくよく気をつければ息遣いが聞こえるような気もしたけど、静かすぎて、ほんとうに誰かいるのか分からない」
「でも足元を見たら、影が変な形をしていて」
「私の影に、腕が四本ついていて」
「うしろから、長い腕がのびてきて――」

 あるじー!
 って言いながら、鯰尾が抱きついてきたの。

 きゃあ、と声をあげて審神者たちは笑った。
 女の子の高い笑い声にのせられて、首筋になまぬるい息がかかったような気がした。
 耳をそばだてると、誰かが何かをささやいているような音がする。よく聞きとれない。
 審神者たちは、私のうしろをじっと見ている。
 笑っている。

「だからね、刀剣男士ってそういうところがあるから」
「あなたも、髭切のことを許してあげてね」

 振り向くと、私の背後に黒く細長いものがいた。それはあやふやな五本の指を私の肩に軽く置いたが、ぶあついゴムのかたまりを押しつけられたような感触がした。
 黒いヒト型がなにかを言った。

「迎えにきた、って」
「あは、私も早くかえらなきゃ。ホットケーキ食べちゃおう」

 審神者のひとりがフォークを突き刺すと、ホットケーキから金色のシロップがしみ出してきた。大きく切りわけて、ひといきに食べる。おいしい、と彼女は言う。

「髭切、いつからいた?」

 審神者仲間のほうへ視線をむけてそう問うと、「ずっといたよ」とみんな笑った。

「特が楽しみっていうのも聞いてたみたい」
「あなたのこと、気に入ってるみたいだよ」
「ホットケーキ食べたいの?」

 心の底からほがらかに彼女たちは笑った。
 私はぎくしゃくと席を立ち、もやもやと何かを言った髭切のあとに続いた。「がんばってね」「またね」というみんなに手を振る。

 刀剣男士がひかえていた場所へいくと、黒いもやもやは口々になにかを言った。

「主さん、喧縺代ヱ繧」
「大将、縺励↑縺」
「よユO磋はB嬲イ6・a這」
「tワ駿7に蕨峻ンlだろう」
「4珎 D」xマ&$Hコ1GU2・オ? ユO磋ョ勅エe1?」

 何かを問いかけているということはわかったが、肝心の内容がわからない。
 髭切はもやもやの群れにまじると、「後ヰ繧ォ縺縺」縺溘j縲√」と言った。すると、みんなが体をゆらした。なにかを意思表示しているらしい。

「おやつはホットケーキにしましょうか」

 そう提案してみると、刀剣男士の首のあたりががくがくと揺れた。肯定なのだろう。当たってよかった。
 さきほどの審神者が「ホットケーキ食べたいの?」と言っていたので、半分はあてずっぽうだった。かれらは、人間の食べものに興味を示す傾向にある。私はまだまだ刀剣男士のことばを正確によみとることはできないが、結局のところ、慣れなのだろう。

 居心地の悪い思いをかかえながら本丸へ戻る。
 点々とつづく飛び石を進み、緑陰のアーチをくぐってゆく。さやさやゆれる木の葉にまじり、異形がなにかをしゃべる。黒いヒト型に囲まれながら私は歩く。

 本丸へ戻ると、黒く小さな影がぴょんぴょんと跳ねて近づいてくる。留守中の番をまかせていた今剣だ。
 今剣は「あるじさま、あるじさま」と言いながらしきりになにかを訴えている。それに対して演練にいった男士がなにかを答えるのだが、私の耳には「ィ遉コ縺輔」と聞こえるので、よくわからない。
 とりあえず、「おやつはホットケーキです」と言うと、今剣は高くとびはねた。すると刀剣男士のいるほうから砂嵐のような音がする。たぶん笑い声だ。

 そんなわけで私はホットケーキを焼く。

 本丸の全員分を用意しているうちにおやつに間に合わなくなったので、そのまま夕飯となった。
 献立はホットケーキと、畑当番のつんできた野菜と、スープだ。ケーキ用のシロップやクリームにチョコレートソースのほか、マヨネーズも置いておいた。野菜用に味噌と塩も出しておく。私は食卓には加わらず、台所で様子をうかがいながら配膳に徹する。
 広間では刀たちが騒いでいる。好意的なざわめきであると解釈する。黒いヒト型がくっついたり離れたりして、食べものをもやもやとその身にとり込んでいくさまは、趣味の悪い絵草紙のようだった。
 かれらが食べ終わり、広間を出て行ってから私は食器を下げる。今日も食べものはひとかけらも残っていなかった。さんざん追加を運んでも食べ残しがないということは、満足しているということだろう。
 私は台所に戻り、ひとりぶん取り分けておいたホットケーキを食べる。一口かむと、たっぷりかけたシロップがしみだしてくる。甘い。
 冷めてしまったホットケーキでも、からっぽの胃をあたためてくれた。

 夜になってすこし泣いた。

 私の寝室は快適である。ふっくらとした布団に身を横たえて、天井の木目を眺めていると、ふと気が緩んでくることがある。そういうときには涙が出る。
 うすぼんやりと明るい天井。ちいさな照明に照らされた、オレンジ色の木目。まるでふつうの家みたいだ。ここに数十のもやもやが暮らしていて、異形のことばを喋るなんてこと、ないように思える。
 部屋の外は、しんと静かだ。

 今日の演練で聞いた話はこわかった。

 夜、いつのまにか、うしろに闇のかたまりが立っている。それが抱きついてくる。なまあたたかいゴム塊に身をしめられるさまを想像して、私は身ぶるいした。とても、きゃあ、で済ませられそうにない。

 寝てしまおう。そう思って目を閉じた。まぶたの裏にオレンジ色の光がゆらゆらと揺れる。
 だんだん意識が沈んできて、眠りにおちていった。

 ふしぎな夢をみた。

 濃い闇のなかに私は立っていた。あたりに生臭いにおいが充満していて、息をするだけで鼻の奥がねばねばした。口をおさえて吐き気と声を呑み込んだ。
 誰かが倒れている。
 まっくろい地面に白い腕だけがだらりと伸びている。着物の袖だけが見えて、残りの体は闇に溶けていた。脱力しきったその手の持ち主が、生きているとは思えなかった。
 ぴちゃぴちゃ、水っぽい音がした。
 その音にあわせて、倒れたままの誰かの腕がぴくぴくと動く。
 よく目をこらすと闇がうごめいていた。動く闇はすこしずつ移動しているようで、腕の持ち主の姿がだんだん見えるようになってくる。和服の胸のあたりが水気を含んで赤黒くなっていた。嫌な匂いはそこからきているのだ。
 人間の体に何かが覆いかぶさって、ぴちゃぴちゃと音をたてていた。

 ――審神者ごろしの罪を犯した刀剣男士がいた。

 研修中にきいた話を思い出す。

 ――当該男士は自分の腹を指さして、審神者はここにいるといった。

 背筋が冷えた。私は今、その光景をみているのだ。
 その本丸の資料をみたこともないのに、なぜかよく分かった。刀剣男士は審神者を食べたのだ。

 足が震えて力が抜けて、私はその場にうずくまった。耳をふさいで、嫌な音がきこえないようにして、必至で頭のなかに念じる。

 ごめんなさい。私は確かにほかと比べてよくない審神者です。
 刀剣男士に慰められることもないし、強くなったからといって信頼感をおぼえることもありません。
 でも、ホットケーキとか食べさせているし、錬結のときに刀を食べさせることもしません。
 政府にいろいろ聞いて、対策もしています。
 だからどうかこの夢から覚ましてください。

 しばらくそんなふうにしていたら、ふいに、頭にぬくもりを感じた。
 誰かが私の頭に手をのせたように思われた。
 それは確かに人肌のぬくもりで、私はずいぶん安心した。

「あるじ」

 花開くような声で、誰かが私を呼んだ。やさしい声だった。
 ああ、悪夢は終わったのだな。そう思って力を抜いた。


 次の朝。
 目をさますと春の香りがした。時々こういうことがある。
 その花の香がする朝はたいていすっきり目が覚めるので、うれしい。

 着物にきがえて、面布をつける。刀剣男士への私の印象を薄くするためだ。むかしは顔を布で覆うと何もみえなかったらしいが、今は色々な技術のおかげでふつうに視界は良好だ。こんなことすら千年前にはあやしい術と思われただろう。時代が変われば価値観も変わるものだ。
 百年前には、人の想いが物質的にも作用を及ぼすことはあまり知られていなかったらしい。付喪神が実体化する現在では、気持ちの強さも言霊も決して軽んじられてはいない。
 だから、私は一日をはじめる儀式として「今日もがんばろう」と思う。

 そして部屋の戸をあけた。
 目の前に黒い闇がいた。

 驚いて立ち止まると、ヒト型の頭にあたる部分がこてんと揺れた。
 私の部屋まで来るのは新入りと決まっている。言葉が通じないと分かると、必要以上に構わなくなるからだ。今回もそのようなものだと思ったが、どうも違和感があった。
 影がなんだか、変な形をしている。全体として細長いのに、肩のあたりだけ膨らんでいるのだ。
 そんな形の刀剣男士を見たことはなかったので、私は正直、戸惑った。

「優ト2Iゥ掛挌/ル・饗」
「……おはようございます」
「限或鋳カ1・愆」
「えっと、今日の近侍は薬研藤四郎です」

 相手の言葉が分からなかったので定型の返事をした。出来のわるい人工知能のようだと思う。ちなみに近侍はいつも薬研藤四郎である。
 目の前の刀剣男士はミミミとうなり(そう聞こえた)、背をむけて去っていった。
 磨きこまれた廊下を歩いていく黒いもやもやを、黙って見送る。誰だろう。昨日まではあんな形の男士はいなかったはずだが、刀剣男士は知らない間に膨張するのだろうか。ちょっと怖い。
 刀帳を調べても変化はみられなかった。一体なんだろう。

 首をかしげつつ朝食の準備をした。広間に行けば、おかしい男士がどれなのか分かるだろう。  

 というわけで配膳をして、最後の一皿を置いたとき違和感に気がついた。
 誰もいない席がある。
 広間に机を並べてひとつの大きな机として使っているのだが、台所に一番近い場所に、座布団が余計に置かれていた。
 誰か来ていないものがいるのかと数えてみても、全員いる。いつものように行儀よく、うすぼんやりとしたヒト型の影が数十も並んで座っている。長机の端っこには変な形の刀剣男士がいて、その隣が空席だった。
 肩のふくらんだその男士が、隣の座布団をやわらかく叩く。おそらく、そこに座れということだろう。
 私は断りたかった。
 そもそもきみは誰なのだ、と思った。
 怪訝な目でみつめていると、くだんの男士の横に座っていたものが黒い肩をぽんと叩いた。首をふりつつ空席を指さして、何かを言っていた。言われた方はおっとりと頭をゆらして何か答えた。それで分かった。髭切と膝丸だ。
 姿勢のいいのが膝丸で、かれは髭切の肩に手を置いてしきりにしゃべりかけていた。
 なぜか一晩で肩口がふくらんでしまった髭切は、口ごたえもせず聞いていた。
 最終的に髭切と膝丸がそろって私のほうを向き、広間は静まり返った。

「……」

 とても困った。
 刀剣男士たちはあからさまに私に何かを期待している。ここで断ったら面倒なことになる気がする。誘ってもつれない、嫌な審神者だと思われてしまうかも。
 迷ったすえに私は腰を下ろした。髭切の隣に。

 とたん、広間に砂嵐のような音が響きわたった。

 数十もの闇のかたまりが私のほうを向きながら身をふるわせていた。
 笑っている。
 そう気づいて血の気が引いた。
 かれらの笑い声を明瞭に聞き取ることはできなかったが、「大将」「あるじ」と言っているのが分かった。それで、おそらく歓迎されているのだと理解する。これほど大きな反応を返されるとは思っておらず、やはり誘いを断ればよかったと後悔の念にかられた。
 刀剣男士に好かれもせず嫌われることもなく、影のうすい同居人として付き合っていきたかったのに。

 その朝のフレンチトーストは、粘土のような味がした。
 隣席の刀剣男士は私にあまり構わず、皿の上の食物と格闘していた。輪郭があいまいな五本の指がフォークを握り、黄色いパンをつついている。
 私は心に決める。こんなことはもう、これきりにする。必要以上に関わりたくないと、態度で伝える必要がある。

 審神者と刀剣男士の線引きをするのだ。
 ともに食事をしてはならない。
 政府からの手紙を近侍に届けてもらうことをやめる。
 話しかけられても、用があることをしっかり伝えて、長居はしない。そう決め、ただちに実行した。

 そして、うまくいかなかった。

 気づけば視界のすみに黒い影がいる。ふりむくと、曲がり角のむこうで小さい闇が私を覗いている。私はつとめて気にしないふりをして、話しかけることもなく足早に通りすぎた。

 ある時は障子のむこうに黒いものが立っていた。部屋の外から桟を叩くので、用事は仕事終わりの夕刻にまとめて聞くと伝えた。それで影は去っていったが、部屋のすみに控えている薬研藤四郎が私のほうをじっと見つめていた。
 今まではこんなことはなかった。薬研藤四郎が私の視線と向き合うように顔を向けてくることはなかった。

 歩いていたら、目の前に黒い影が降ってきた。天井から、さかさまに刀剣男士が生えていた。
 悲鳴を飲みこんでそそくさと退散した。
 頭を思わせる重たい闇のかたまりに、顔が浮かび上がっていたような気がした。

 今までこんなことはなかった。

 食事を運んでいたら、肩口のふくらんだ刀剣男士が席についたまま私の袖をひいてきた。あいかわらず変な形に見えるのは髭切だけで、しかもここ数日で頭のあたりもふくらんできた気がする。人間でいうと頬のあたりが広がったような、しもぶくれになったような……。
 そんなことがあるのかと、審神者仲間に聞いてみることにした。
 しかし、演練に組み込んでいた髭切が私のうしろをついてきて離れない。どこかへ行けと言うこともできず、私は閉口した。これでは突っ込んだ話ができない。
 髭切はおっとりとしていて、普段もゆっくり動くのに、演練で相手に対する時はおそろしく深い切り込み方をする。そのギャップから、どんな性質の刀剣男士なのかがよく分からなかった。分からないので対策を立てることもできない。
 髭切は何を言うでもなく私のそばに付き従った。
 考えていることが分からない凶器をそばに置き続けることは、私にはできない。

 投石部隊の腕を上げたい、といって髭切を演練から外した。
 その日、審神者仲間に、「今日は髭切は一緒じゃないの?」と聞かれた。

 手遅れなのではないかと思った。本丸に戻ったあとも落ち着かず、近侍の薬研藤四郎に休憩をやって、ひとりになって息をついた。
 そしてふと気づく。

 髭切がいた。

 私のうしろにいた。
 うしろから顔を覗きこんできた。
 黒い顔から吐き出された息がかかった。

 用事があるのです、と言って台所へ行った。そこには数名の刀剣男士がいて、棚をながめて中身を物色しているようだった。

 無言できびすを返した。板張りの廊下を静かに、速足で進み、部屋へ戻る。
 たたみの上に腰をおろして連絡帳をひらく。
 そして政府と通信した。


 私は刀剣男士に対して平等な審神者であろうと努力してきたが、ここ数日でその均衡がくずれようとしている。どう対処するのがいいか。


 答えはすぐに返ってきた。


 なにも問題はありません。あなたはよくやっています。演練の勝率は横ばいですが、出陣では高い戦績を誇り、遠征はすべて成功しています。
 どうぞこの調子で、戦いを続けてください。
 刀剣男士との関係に均衡を求めることは悪いことではありませんが、なにも問題はありません。私たちはあなたの味方です。昨日の演練は見ましたか? 成績上位の審神者がすばらしい上位です。戦い方が上位だからです。でも夕餉にはおいしいものを食べるとよいでしょう。なにも問題はありません。刀剣男士はあなたの味方です。私たちもです。それは襍キ縺阪k縺ョ? 九∋魚肴枚蟄です。大丈夫です。


 通信を切った。
 政府側も、研修中はこんなふうではなかった。本丸解体の事例をきいて、職務に不安をおぼえた私に、具体的な対処法を教えてくれた。顔を隠すのがいいと言われて、私は従った。支給された面布をありがたく受けとった。表情がみえないほうが余計な印象をのこさずに済むような気がしていた。
 でもそんなの、あってもなくても同じだったのではないか。結局、私の印象がどうであれ、刀剣男士は執着のようなものをみせはじめたのだから。

 初期刀の山姥切国広は物静かな刀で、私に対して何か言ってくるということがなかった。だから今までのやりかたで大丈夫だと思っていたが、それは刀一振りずつの性格によるものだったのかもしれない。
 短刀があちこち飛びはねて元気さをみせるように、人懐こい刀というものがいて、私はたまたま気に入られただけなのかもしれない。たとえば髭切が私への距離を縮めたので、もともと人間好きな刀もそれに続いたのかもしれない。
 ならば、その原因だけを断ってみるのはどうだろう。
 私に対して距離をつめようとする刀を、どうにかする。

 ……刀解する?

 ひとりきりの部屋で自分の影をみつめながら、ふとその言葉が思い浮かんだ。すぐに思い直す。叛意を持たれたくはない。
 いずれにせよ、今までのようにあまり接しないやり方ではだめなのだ。
 刀剣男士たちは審神者との仲を深めたがっている、のだと思う。あからさまに逃げ出してはいけない。
 声をかけられたらあいさつして、驚かされたら驚いてみせて、台所に誰かがいたら用事をちゃんと聞いて、覗き込まれたら……目をそらさない。ここが目だろう、というところを見つめ返す。
 審神者仲間はどうやって日々うまく接しているのだろう。演練で聞く話はさも親しげで、深く考えることもなくすごいすごいと思ってばかりだった。浅はかだった。

 反省はあとにしよう。
 さしあたっては髭切だ。
 とりあえず、私のいままでの態度を謝るべきだろう。さきほども後ろから覗きこまれて逃げてしまった。

 私は変わるのだ。影のうすい審神者であろうとするのではなく、すこし親しい審神者になるのだ。

 深呼吸して、部屋を出る。
 目当てはすぐに見つかった。

 髭切は審神者部屋のそばをうろうろしていた。渡り廊下の柱をさわったり、庭のほうを見てみたり、片足を踏み鳴らしてとんとんと音を出したりしていた。そして首をかしげていた。
 なんともいえず奇妙な行動だったが、ひるんだ様子をみせてはいけない。

 私はつとめて穏やかに、知己に対するようにして、髭切のそばに近づいた。
 黒い影が立ち止まった。

「先程はすみませんでした。うしろから見られると、驚いてしまって……。なにかご用でしたか?」

 無言だった。
 髭切は私の前でじっとしている。見上げるほどに背が高い。目のあたりに視線をあわせてから話すことにする。

「用があったら、言ってくださいね。私もできる範囲で、がんばりますから……」

 ここまで言い添えておけば大丈夫だろう。
 そう判断して、「では」と頭を下げる。そうすると面布が垂れさがり、耳元でさらりと鳴る。そして、顔と面布の隙間が音もなく広がった。
 誰かが指を差し入れている。

 黒い手が私の面布を持ち上げていた。
 体が硬直する。
 はっきりと輪郭のある五本の指がそこにあった。黒い手袋をはめている。

「用がなくても、きみと話したいと思っているよ」

 花のひらくような声だった。

 うつむいたまま私は、自分の足袋と廊下をみていた。眼前に、黒い靴下をはいた人間が立っている。
 鼓動が強まっていく。
 言葉をしゃべった。
 はっきりと、人の言葉を。

 この本丸に、そんな存在はいないはずだ。

 おそるおそる顔をあげる。目の前の『なにか』は私の面布を持ち上げたまま、なにも言わずに立っていた。
 知らず息をのむ。ヒュッ、という音が自分の喉から出たのが、やけに遠くから聞こえた。

 うつくしい男が立っていた。
 この世のものとは思えなかった。
 白く上品な上着を肩にかけ、やわらかそうな髪が頬にかかっていて、瞳は琥珀の色をしていた。

 彼は顔をかたむけて、私に視線をあわせた。目に好奇の光がやどっていて、それは喜びにもみえた。
 男がうすい唇をつりあげる。私を見て。射すくめられたように動けない。なんだ。なんだこれは。
 理解の及ばぬものが目の前にいる。
 透き通るほどにうつくしい瞳が、一点の曇りもない肌が、あつらえたように合っている腰に佩いた太刀が、すべてが私にそう伝えた。

 男の指が私の面布を取り去る。
 むきだしの頬に長い指が触れ、愛おしそうに私の肌を撫でていった。手袋ごしに冷たい人肌の温度が伝わってくる。その仕草はあまりにも人がましくて、鳥肌が立った。知らなかった。私は。

 こんな異形のものたちと一緒にくらしていたのだ。

 ふわりと桜の花が舞う。髭切の背に一房の桜を幻視し、それは花びらを振りまきながらも瞬きのうちに消えていった。あとには花の香りだけが残る。
 すっきりと目覚めた朝に、部屋に漂う香りだった。
 そう気づいて胸にきざしたのは絶望に似た感情だった。

 面布が隠していたものがこの姿なら、これこそが真実だったなら、私は確かに守られていたのだ。
 目に見えるものが黒い闇だけなら、逃げられないとは思わなかった。
 相手のことが分からなければ、なにも考えずにいられた。

 髭切がささやくように、ふふ、と笑う。そして優しく、おだやかな声でこう言った。

「やっとみつけた」



→髭切のはなし



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